2020.02.05 -ESSAY

結局街歩きなんだよ

普段の生活でも街を歩くことは、息をするのと同じくらい生きていく上で欠かせないことである。だから、ここ一年間ただ歩くだけでは勿体ないように感じ、常に何か考えながら街中を歩いていた。

根本的に、街そのものが人間によって創り出された光景で、それと同時に人間がデザインを施した最たる光景。こんな時代だから都会は勿論のこと、田舎でさえ街として整備されている。

そして、現在でも人間のエゴによってどんどん自然的から人工的に変化している。当然、僕もそのエゴに執着している。

直線的な道路や入り組んだ建物など、自然界では絶対に有り得ない存在が平然と存在している。極端な話、自然は無限だけど人間の創り出したモノは有限。そのタイムリミットに惹きつけられる。

それと付随して、人間がデザインしたモノにはつい目がいってしまう。どういう意図でこのデザインになったのか、考えるだけで思考が止まらなくなっていく。

また、大学で学んでいた流れで、企業との結び付きを考えてしまう。道路にしろ建物にしろ、街をデザインしているモノは、大抵どこかの団体もしくは企業が創りあげているモノ。

変に発見してしまうこともあって、例えばロシアの交差点で、ふと信号機を見たらSIEMENSという文字を発見し、補聴器だけの外資系企業のイメージが覆った。

そして、何より街歩きの面白さは、ただ一つのデザインが目の前に広がっているということにあるのではないだろうか。

例えば、4人で歩いているとする。一人目は女好きで、どんな女性が歩いているか気にしている。二人目は車好きで、会話が途切れると無意識に道路に目を移す。三人目は食いしん坊で、どんなお店が自分の好みか調べている。そして、4人目はファッション好きで、すれ違うたびにその人のファッションを見ている。

あくまでも極端な例だが、唯一いずれも同じデザインの同じ街という共通点。ここまで支離滅裂なグループはないにしろ、誰一人として自分と同じ光景を見ているとは限らない。これこそ最大の魅力のような気がする。

僕は現在暇で時間を持て余している。だから、本を読みまくったり動画を観まくったり、色々なことをしていた。その一つに、暇だと思ったら街を練り歩いていた。

恐らく今後もやっていくことだろう。まだ確信には至らないが、街から何か面白さみたいなことを無意識のうちに求めているのかもしれない。

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