2020.08.01 -DIARY

「充実した人生」って冷酷な言葉ですね

今回はたまにTwitterのタイムラインで流れてくる「充実した人生」という文言について、充実した人生の「充実」って果たしてどういうことだろうと感じたので書き綴っていこうと思います。

何を持って充実なのか。お金なのか、名声なのか、イケメンな彼氏なのか、フォロワーの多さなのか。今の僕には正直分からないです。

これまで「充実な人生を」なんて考えてもこなかったですし、そんなことを考える自分がおこがましく思えてきて、充実した人々に対する反骨心もあったかなとも思います。

充実という言葉が時々、冷酷な言葉に聞こえてくる時があります。充実って意識すれば意識するほど自分に嘘をついているような気がしてならないです。一生充実した何かに囚われて生きていくのかなって。

僕にとっての充実とは何なのか。そもそも、人生って充実していなければいけないものなのだろうか。それが果たして楽しいものだろうか。今の僕にはこれっぽちも分からないです。今日が良ければそれでいいような気がして、向上心がないと言われれば否定はできないですが。

でも、人生を充実させようとするのは本末転倒になり兼ねないし、図々しいと自分の中で勝手に思っています。だって、充実させるということは裏を返せば、充実していなかった時間を否定していることと一緒のような捉え方もできます。充実した瞬間までは無駄だとすら感じているのではないかと思ってしまいます。

これはでもSNSが発達してきたからこそ強く思うところです。

「充実もクソもない。どうせ死ぬ時なんて、充実してきた日々が断片的な記憶として残っていることに気がついて、あれもこれもと後悔して死ぬんだから。例え、走馬灯のように記憶が蘇ってきても、そこには大した記憶はないだろうな。」

こんな偏屈な考えを稀にしてしまうものです。

マツコデラックスさんが以前、くりぃむしちゅーさんのラジオで、「大学院か視野を広げるために海外に行くか」で悩む大学生に対して助言していたことを思い出しました。

「どっちだって一緒よ。視野を広げるために海外に行くって、視野を広げるためって知りたいと思ったことから始まるじゃない。それがなければ視野なんて広がらないし、日本にいた方がよっぽど視野が広がるわよ。」

要するに、充実させようとして行動するのではなく、何かを知りたい、やってみたいと思うところからスタートはしないということです。

充実させたいから旅に出る、充実させたいからインスタ映えの写真を撮る、充実させたいからイケメンの彼氏と付き合う。こういうことって、そもそも何を充実させたいという根っこの部分がないから、きっと数年後にはどこ吹く風です。

そこに執着し過ぎても、結局自分には残らない気もします。ぷらっと海外に行って、視野が広がってしまうほど浅い人間であれば、きっと死ぬ時もそんなもんだと思います。

さらに、美女を助手席に乗せて高級車を乗り回す人や、高級ブランドを身に纏い重々しい出で立ちで歩き回る人などを見かけても、人生が充実していて羨ましいと思ったことはほとんど無いです。

格好いい風な雰囲気をバンバン出して一見すると目立っているように見えますが、数分後には私の頭からその方の残像はもう消えています。

面白みがないというか、全く心に残らないというか。私が面白い人間かと言われれば、多くの方は首を横に振ると思います。だから、あまり偉そうなことを口にできる立場ではないのですが、そんな僕でもこんな人間にはなりたくないと思ってしまいます。

お金持ちを妬んでいるのではなく、寧ろお金を稼いで凄いなと庶民の私としては思います。でも、結局人間性が面白くなければ、例え高級車で颯爽と現れたり、高級ブランドで着飾っても、僕には全て同じ色にしか見えないです。

一方で、アヴァンギャルドなファッションだとしても、グラデーションがかった人間性が見えて、カッコいい魅力を感じます。

※一昔前に流行ったテレビ番組みたいに、人のオーラが見えるといったスピリチュアル的な能力は一切持ち合わせておりません。

ただ、人生イージーモードになるくらい稼いだ人は最早その次元にすらないかもしれませんが、高級な物に対して充実感を得ようとしたり、流行に従って充実感を得る人間にはなりたくないかなと考えています。どっちみち、なろうとしても不可能なので。

ソラハピ TAKIBI 海外旅行 ハッピーメール

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