2021.02.22-ESSAY

底なし沼に沈んでもただの一般人

一回のめり込んでしまうと、もう後戻りはできなくなる。

自分ではよく分からないが、もう後戻りできないモノが一つくらいはありそう。というより、知らず知らずのうちに勝手に決めていると言うべきか。

でも、その後戻りできないモノを自分以外の人は、アマゾンの奥地とロシアの極地くらいの温度差でいるかもしれない。

その温度差というものは、捉えようによってプライドの差とも言える。

変に色々覚えていくと、自分の中で自信というかプライドみたいなモノが芽生えてくる。これを上手く利用して、安売りしない人が一番カッコいい。しかし、大抵は変なプライドしか芽生えてこないし、そのプライドって別に必要ない。

日本のカメラメーカーは例としていいと思う。

前提として、日本のカメラメーカーには多大なリスペクトをしている。ただ正直なところ、個人的には、もう既に執念しか感じないことが多くなった。

以前、動画制作をしている知り合いと話したことがあった。

「またソニーが新しいカメラ出すから買おうか迷ってるんだ。」

確かに、新しいカメラは気になる。でも、これまで以上に高性能のカメラが出るという一種の嫌なしつこさを感じた。

高性能な技術を開発していること自体はめちゃくちゃ凄い。しかも、日本の企業が世界の中でも一線で活躍している点では、もはやリスペクトするべき。

ただ、ある意味ここまでくると、コアなマニアしか盛り上がっていない。

何年か前のスペックで十分に綺麗な写真として機能しているし、伝えるということに関しては申し分のないカメラばかり。

それなら、次は何を撮るか、もしくはモノの存在感やデザイン性みたいなところにシフトしてもいいと思う。

それでも、メーカーの意地というか、マニアのしつこさというか、そういう自己満的な感覚って、とても意味のある感覚なのは確か。でも、変な方向に行くとこまで行けば、根本的な本末転倒になり兼ねない。

また、それと同時に僕としては、こういうマニアがどんどん古いカメラを手放していくことに喜びを感じた。

高性能なカメラがどんどん中古市場に並べば、少なからず今よりも安価になることは間違いない。そういった中古品で満たされたとしたら、まさに棚ぼたではないだろうか。

例の話に限らず、僕もそういう変なプライドが芽生えてくることはある。特に好きな作品の展示会に行った時なんかはいい例だ。

そこにいた僕は、ある程度の熱量を持って展示品を見ていた。しかし、ふと「これ可愛いね。」や「これカッコいいね。」という、周りの声が聞こえてきた。しかも、あちらこちらと聞こえてきた。

この瞬間、若干の小っ恥ずかしさみたいなものに苛まれ、心の中で我に返った。

「本来、こういうものだよな。」

底なし沼と一緒で、ハマりすぎると逆に見えなくなる。それが長引けば、もう戻れない変なプライドも生まれてくる。

マニアな見方も大切だけど、一般的な見方もそれと同等に、もしくはそれ以上に大切。そうしないと、いつか頭でっかちになりそう。

ソラハピ TAKIBI 海外旅行 ハッピーメール

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